若者の車離れ

最近よく見かける「若者の~離れ」というフレーズであるが、そのはしりと言えばやはり車離れではないだろうか。

今の若者はクラウンやシーマといった高級車に憧れるわけでもなく、スポーツカーを買って峠を走るわけでもない。日常の足としての車があればそれでいい、と考える若者が大多数である。

かくいう私も所謂「最近の若者」と呼ばれる世代だが、私は何故か趣味が車。というより、自動車をステータスとして見てしまう悪趣味な一面を持っている。
どうせ乗るなら良い車、楽しい車に乗りたいではないか。

とまあ、私自身の趣味は置いておいて。私たちの世代が何故車に興味を持たないのか。それは単純に「収入が無い」「多趣味」だからである。
今の40~50代の方々が「若者」だった時代。時代は高度経済成長からバブル経済に突入し、良い車に乗って彼女をゲレンデに連れて行くことがステータスだった…らしい。

ベンツやBMWが「六本木のカローラ」だの「コベンツ」だの言われた時代である。そんな時代に生きていれば、そして現在の様に情報化の進んだ時代でなければ私たちの世代だって車にお金をかけるだろう。

しかし、現在は違う。あらゆる分野において一般人が情報発信源になれる時代であり、彼女とのデートは軽自動車でも全く構わない。
無論、高級車に乗っていればそれはそれでモテるだろうが今時の女子が求めるのは「身の丈にあった車」なのだ。

平均的な収入の男が新車のベンツ・Sクラスに乗っていてもドン引きされるだけだ。自動車がステータス足り得る時代は終焉を迎え、身の丈にあった堅実な車が持て囃される時代になってしまったのだ。

別に今の若者が車を嫌いになったわけではない。ただ、手に入らない車を無理して買わなくなっただけの話なのだ。

「いつかはクラウン」から「そのうちプリウス」の時代がやってきた。その事にもう少し目を向ければ、今の若者向けの自動車というものも作りやすいと思うのだが。

因みに私が今一番所望する車はハマーのH1。やはり車はパワーと馬力である。

セダン車のデザイン

最近…という程でもないが、最近の車は随分と流線型のデザインが増えたように感じられる。

特にその傾向が顕著なのがセダンだ。クラウン、フーガ等の高級車からアテンザ、ティアナ、マークXまでセダンタイプの乗用車は猫も杓子も流線型のデザインだ。

高校の社会科の教師が「車のデザインは大体四角と丸でループしてる」という持論を持っていたが、ここ最近の自動車は殆ど流線型のデザイン。
燃費と空力性能とやらを優先した結果なのだろう。私自身は別に流線型のデザインが嫌いではない。

しかし、特にセダンに関しては昔ながらの角ばったデザインが好みであるため少々物足りない思いをしつつもある。

ところが、軽自動車に目を向けてみれば四角デザインが大ブームだ。カクカク四角い…と某軽自動車のCMでも謳っていたが、ハイトールワゴン全盛の軽自動車はどれもこれも角ばったデザイン。
さらにはハスラーなる街乗り軽SUVも登場し、軽自動車は普通車とは対極のデザインがブームになっている。

これはあくまで私見だが、昔に比べて普通車(特にセダン)のデザインが流線型に落ち着きつつあるのはセダンに求められる役割というものが変化したからではないだろうか。

昔は家庭の父親が乗る車と言えばセダン。家族旅行に行くにもゴルフコンペに行くにも、コンフォート性と積載能力を両立させねばならなかった。
そうなってくると、必然的に車体を広く有効活用するためにはデザインを四角くしなければならない。

ところが、現在家族連れが乗る車と言えばミニバンだ。
大人数で乗ることが出来、荷物も沢山載せることが出来るミニバンは家庭の、さらには職場での送迎用にも大活躍。かつてセダンが担っていた役割は完全にミニバンに移行したのだ。

そして今セダンに求められるべきは「セダンとしての存在感」タクシーの様なコンフォート的実用性ではなく、セダンを所有するオーナーの社会的地位を確率する為の車種へと移行しつつあるのだ。

「重厚な存在感」のデザインから「カッコイイオジサン」が乗る為のデザインになりつつある現在のセダン。

私と同じ様な趣味を持つ方がいれば、旧車を中古車で探すか、光岡自動車のガリュー等カスタムカーを探すよりないのだろう。

自動車購入~私の場合

突然だが、皆様は自動車を購入するときの一番の基準とは一体なんだろうか。
外観、用途、燃費・維持費。色々購入するときの基準はあるだろうが、私の場合はやはり「外観・内装」で決めてしまう。

車とは、ドライバーを飾るアクセサリーの一部だと考えているからだ。
人とは違う車、街中では中々見かけない車、高性能なスペックの車。
どのような車であっても街中に溢れる他の車よりも優れていれば、それはドライバーの自尊心を満たしてくれる立派な相棒になるはずだ。

ところが、この考えは私と同世代の友人には中々受け入れられなかった。私自身、やっと社会人2年目になろうかという若輩者だが、周りの友人たちは「車なんて動けばそれでいいんだよ」という考え方ばかり。
車に対する浪漫やプライドというものは何もない。生活の足として車を捉えているのだ。

無論その考え方が間違っているとは思わない。というより、車に浪曼だの見栄だのを求めている私こそ古典的というか、古臭い考え方な人間なのだろう。

しかし、例えば通勤するとき。友達と出かける時。一人でドライブするとき。休日買い物に行く時。彼女とデートするとき。
維持費と燃費だけが取り柄の自動車ではなく、パフォーマンスとスタイルに優れた「良い車」に乗りたいとは思わないだろうか。
何気なく車を走らせているだけでも、まるで自分を物語の主人公の様な気分にさせてくれる。

中古でも新車でも良い。「この車に乗っているんだ」と自慢できるような車こそ、アイデンティティ崩壊気味なゆとり世代の若者に必要なのではないだろうか。

因みに、ここまで大言壮語しておきながら私の愛車はセリカ最終モデルの前期型どノーマル。お値段60万円の中古車である。
ハイオクのガソリン代と極悪な燃費に日々泣きながらも、他人に自慢するために今日も今日とて洗車だけは欠かさない。

それでも「スポーツカーに乗っている」というプライド(笑)だけを持って、私は今日もセリカで通勤するのだ。